氷見のあれこれ

私が直接、見聞きした氷見の話題を挙げました。


はじめに

■私が見聞きし、感じた氷見の話題を挙げました。 ある「まとまり」が出来ると、新たなページとして独立させたいと思っています。

虹が見える橋

水郷公園の「虹が見える橋」です。


大浦のガガブタ

地図

■ある日、時間的に余裕ができた。
新聞や小学生の研究で有名になった「ガガブタ」を見に行った。
堀田公民館の向いの、水門が有る細い道をずっと入ると、 やがて舗装が無くなり、行き止まりに駐車場が有る。
その「大浦池」という大きな溜池が「ガガブタ」の群生地らしい。 居合わせた釣り人に聞くと、シーズンは7〜8月であり、花が見たければ午前中にしか咲かないという。 それでは、来年まで待つしか無い。

植物

■そこには、氷見市からの植物保護のため採集禁止の看板が立っていた。 特に「ガガブタ」とは書いていないのは、「寝た子を起こさない」ための配慮だろう。
また「ヘラブナ釣り」の注意事項の看板が立っていた。 「釣った魚は池に戻せ」と言う。さっきの釣り人はどうしただろうか。


トンボの楽園・乱橋池

地図

■ここは有数のトンボの楽園。
市内宮田の乱橋(みだれはし→みだらし)池を訪ねた。
昨年(平成14年)は土木工事中であり、現場には近寄れなかったが。 工事は一旦、完成(平成15年)しており、辺りを見回すことが出来た。

■回りは雑木林や竹薮。 氷見の各地で見られる溜池とは違い、底が浅く葦だらけ。 もう、溜池としての機能は感じられなかった。 観察路を伝い上流に向かうと、減反のためか放棄された圃場が散見された。 もっと不便な場所でも田圃が続いているのに何故?と思ってしまう。 更に上流に進むと、管理橋や側溝が整備されていた。 そして、最上流の小さな溜池で行き止まりとなった。

■農耕をした方が良いのか、放棄した方が良いのか考え込んでしまった。 放棄したために環境が荒れ、トンボが住めなくなると言う。 重機をいれ、人工の側溝を作り、側道をカラー・アスファルトで固める事がトンボに優しいとは。 「自然を守る」とは、どう言う事なのであろうか?

■例によって注意看板が設置されていた。 ザリガニやブラックバスの放流禁止は理解できるが、水蓮が禁止とは知らなかった。 小魚の放流も禁止されている。


■トンボでの有名地は、

などが有る。 それぞれ日本一を自称しているが、何れも広大な地域であって、 乱橋池近辺の様に、小じんまりとはなっていない。 従って、此こそが「トンボの楽園・日本一」と思う。

□参考:トンボの楽園神戸のトンボ


氷見の隠れスポット

■直接この目で見聞きした、氷見の隠れスポットです。 私が作ったあちこちのページを、地域別の切り口で紹介しました。 適当な場所を選んでクリックして下さい。 サブ・ページから更にジャンプできます。

■ここは、イベントや観光を紹介するページでは有りません。詳しくは 氷見市イベントガイド観光情報 を、ご覧下さい。

伊藤敏博ライブ

■過日(H11.10/11)、氷見市民会館で「市民カレッジ・伊藤敏博ライブ」を見た。
でも氷見はレベルが高い。テーマは「伊藤敏博と地球環境問題」を考える。

■前日、横浜から駆けつけたシンセサイザー。
金沢から来たストリングス(ギタリストでは無い。)は、大小のギターとビオラ。
「伊藤さん」はギターとハーモニカに加え、横笛(フルートでは無い。)は凄かった。
彼らは、シンガーと言うよりミュージシャンだった。

■上伊勢保育園児30名が ブリンス・サンバ を踊り、
例の「だから、ネエネエネエネエ!」も歌ってくれて、あっという間の2時間半だった。


■氷見市長の、願わくば「流木の、禍い転じて福となる」が心に残る。

■訃報が有りました。
彼の父親、「第一平和丸」の船長、伊藤昭一さん(青海町外波)が、
遺体で発見(H11.10/25 9:30) されたそうです。合掌。


史上まれな流木群

地図

■近くの海(H11.10/9)で「史上まれな流木群」(9/15)を見た。
休日なのに、沢山の「ボランティア」が働いていた。

■海の音はザアザアでは無く、流木がギシギシと鳴いていたそうです。
せっかくここが、日本の「5っ星水浴場55選」に選ばれていたのに。

■NHKのニュース(H11.10/19)を観ていたら、この「島尾・松田江浜」で、
「中井貴一」さん主演の「玩具の王様」のロケ風景が放映されていた。
流木群をどかさずオブジェとして映されいた。さすがプロですね!


■毎年7月の第一日曜日(5:30)に行われる海岸清掃日は、 この事件をきっかけに、一万人も集まるようになった。(H14.7/7)


「安政の米騒動」について。

地図 地蔵

■天保4年(1833)・天保7年(1836)は、凶作・不漁であった。
そのため食料不足となり、県内各地で米騒動が多く起こった。

■その後、安政4年(1857)は凶作、 翌5年(1858)2月25日、立山で大地震が発生した。 氷見では被害が少なかったとはいえ、 それでも地割れが発生した場所も有ったそうである。 この年は、更に物価の高騰、政情の不安、疫病の流行などが加わり、 県内各地で米騒動が同時多発し、その年10月頃まで続いたという。

■その年、安政5年7月16日、氷見の町部でも暴動が発生し、 この首謀者として、岸田屋勘七・中村屋吉右衛門(通称:亀吉)らが捕らえられた。 翌6年(1859)12月27日に処刑され、30日間さらされたという。

■彼らは、当時の為政者からは犯罪者の扱いを受けたが、 庶民の心情からみれば、義志として同情されたであったろう。 その後、処刑地の近くに稲穂地蔵(伊勢大町2-17-19)として祀られ、 通称「カン七・ガメ吉」として崇拝されている。

■当地では年中行事として、8月24日に地蔵(おんぞはん)祭が行われているが、 ここでは意思を偲んで、命日の8月27日に祭が行われるという。 今はどうかも知らないが、以前は盆踊り大会や演芸会なども加えられ、 賑やかだったと年長者から伺っている。


浅野総一郎翁誕生地について。

地図 記念碑

■藪田の児童公園で、セメント王「淺野總一郎翁誕生地」の記念碑を見つけた。 何度も、この道を通っていたのに、これまで気が付かなかったのである。 副碑の碑文は、淡々として記述してあるが「氷見の先賢」を読んで見ると、 波乱万丈の人生を送ったという。

■先日、氷見市民会館で「九転十起の男」の映画を見ました。 京浜工業地帯の父・浅野総一郎翁は、地元出身だと言うので、以前から気にしていたのだった。
(平成18年11月21日)

■4月6日からのクランクインだったそうだが、地元では「DOWNS & UPS〜浅野総一郎の青春」の看板が立っていたらしい。 実際の映画内では、地元の風景は余り感じられず、雨晴海岸だけが目だったのは寂しかったが。 出演者の方言も馴染めなかったが、全国版であれば仕方が無いところだろうか。 しかし、上演の後先では市川徹監督の挨拶も加わり、好感が持てた。 私にとっては、久し振りに有意義な晩を過ごすことが出来たのだった。


齊藤弥九郎先生について。

地図 銅像

■朝日山公園、「譽一山荘」近くの丘に、この銅像がある。

■文政9年(1826)、江戸九段坂俎板(まないた)橋のほとりに「練平館」を建てた。 これが後に、千葉周作の「玄武館」、桃井春蔵の「士学館」と並んで江戸三大道場の一つに数えられた。 (「氷見の先賢」より抜粋。)


氷見音頭

■「氷見音頭」を T-SEQで作りました。
雰囲気はどうかな? ここを 氷見音頭が聞けます。 クリックして下さい。


作詞:高橋 掬太郎、作曲:大村 能章



氷見の短信

■自宅付近で富山国体の「自転車ロードレース」(H12.10/15)を見た。
先頭集団があっと言う間に過ぎ去った。迫力が有った。

■世の中、知らない事が沢山ある。(H12.5/7)
近所の「池淵酒店」で、12年物(1988年)の日本酒を売っていた。
日本酒のVSOPなんて、この年になって初めて知り、早速、飲んだ。


■「海鮮館 ・比美乃江大橋」がオープン(H12.4/21)した。
早速、見学(H12.4/22)に行ったが、駐車場が広い割には混雑していた。
ミニ・セリ市が楽しかった。

■「氷見魚祭り」(H11.10/24)で
和食の鉄人 道場六三郎さんの「山中節」(?)を聴いた。

■氷見市民会館(H10.10/18)で、
テレビ東京 開運!何でも鑑定団・出張鑑定in氷見の収録を見た。
全国版でも放映された。再放送(H12.10/15)も有った。


関連ページ